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- 田の原温泉 大朗舘について
田の原温泉 大朗舘について
Achievements田の原温泉
開湯は鎌倉時代といわれています
筑後川の源流 田の原川の川底から温泉が湧出しているのを発見したのが田の原温泉のはじまりといわれています
付近からは縄文時代の集落の跡や多くの磨製石器が出土し歴史ロマンのある地域
江戸時代には湯治場として栄え 熊本藩の藩士が効能を評価した文を残っています
昭和39年(1964年)に南小国温泉郷の一部として黒川温泉・満願寺温泉と共に国民保養温泉地に指定されています
筑後川の源流 田の原川の川底から温泉が湧出しているのを発見したのが田の原温泉のはじまりといわれています
付近からは縄文時代の集落の跡や多くの磨製石器が出土し歴史ロマンのある地域
江戸時代には湯治場として栄え 熊本藩の藩士が効能を評価した文を残っています
昭和39年(1964年)に南小国温泉郷の一部として黒川温泉・満願寺温泉と共に国民保養温泉地に指定されています

江戸時代~明治時代
大朗舘の全身は江戸時代から明治時代にかけて「亀屋」という屋号で旅籠(御客屋)を営んでおり 熊本藩の藩士などの湯治客をもてなしていました
明治時代~大正時代
武士の家系に誕生した北里大九郎は庄屋の家を離れ
教職の傍ら妻ソデとともに亀屋を受け継ぐ
教職の傍ら妻ソデとともに亀屋を受け継ぐ
昭和~令和
昭和に入り次々と家族の不幸に見舞われたことにより 旅館名を大九郎の「大」をとり「旅館 大朗舘」とあらため 再スタートをすることに
昭和に入り代替わりし 旅籠だった江戸時代の建物から近代的な建物に
田の原温泉は当時7~8件ほど旅館が軒を連ね
桶屋があるほど賑わいと活気があり大変繁盛した温泉地でした
1977年には映画『男はつらいよ』の
21作目『寅次郎わが道をゆく』(1978年公開)のロケ地に
館内には撮影当時の写真や出演者の色紙を展示されており
映画ファンにも親しまれています
逸話として 撮影当日に山田洋二監督が大朗舘を訪れ挨拶をされましたが
館主は寝耳に水・・
どうもアシスタントの方が隣の旅館と間違えていたようで・・
宿は満室でしたが 合間に無事撮影ができたそうです
映画には当時宿を切り盛りしていたおばあちゃんと現在の館主(当時は赤ちゃん)がしっかり出演しています
昭和最後の年には老朽化のため現在の建物に
建物自体は変わりましたが 寅さんの思い出を大切に宿を切り盛りしています
昭和に入り代替わりし 旅籠だった江戸時代の建物から近代的な建物に
田の原温泉は当時7~8件ほど旅館が軒を連ね
桶屋があるほど賑わいと活気があり大変繁盛した温泉地でした
1977年には映画『男はつらいよ』の
21作目『寅次郎わが道をゆく』(1978年公開)のロケ地に
館内には撮影当時の写真や出演者の色紙を展示されており
映画ファンにも親しまれています
逸話として 撮影当日に山田洋二監督が大朗舘を訪れ挨拶をされましたが
館主は寝耳に水・・
どうもアシスタントの方が隣の旅館と間違えていたようで・・
宿は満室でしたが 合間に無事撮影ができたそうです
映画には当時宿を切り盛りしていたおばあちゃんと現在の館主(当時は赤ちゃん)がしっかり出演しています
昭和最後の年には老朽化のため現在の建物に
建物自体は変わりましたが 寅さんの思い出を大切に宿を切り盛りしています
